屁放き爺さん「色即是空」巻二

  羅什を伴って長安に帰還する途中、前秦王朝の滅亡と苻堅の死を知った呂光は、枯蔵(現武威)に自立し、後凉国を建国する。以後呂光父子の軍事顧問として羅什は凉州に十六年間留まる。
   涼州は東西に旅する仏教僧の往来や教典が最初に中国大陸に運び込まれる舞台で在った。史書によると、此の間の羅什は、布教者としては全くの空白の時期とされている。しかし筆者は、”徒労の時間を送っていた”や”中国に大乗仏教を伝えるという使命を忘れた”のでも無かったと思う。此の十六年という年月は、羅什が漢語を習得し、中国の諸事情に精通するには十分な時間で在った
  中国へもたらされる西域の文物の殆どは河西回廊を経由して中原に伝えられる。仏教が一番早く、中国に根づく地は河西回路の四郡や敦煌で在った。此の地には深く仏教が浸透していた。仏教経典も数多く伝えられ、羅什の姑藏入りを知った僧肇などの高僧が長安から集まって来た。彼はこの地で漢文化を吸収し、自ら温めていた仏教経典の翻訳や研究を手がけていたと想像する
仏典の他、兵法や国家統治を学んだと云われる。彼の翻訳経典の詩的な雰囲気はこの時期に、多くの文学書にも通じた事が頷ける。
  此等、多くの学問や文化に接した事が彼の翻訳経典の文学書を読む様な雰囲気を漂わせるのかも知れない。

  生命が死に絶えた地、時間が止まった地から、生命を知らない地、時間の無い地へ一本の道が通じている。東方の文明と西方の人々を結び、様々な物資が運ばれ、様々な文化が行き交ったシルクロードで在る。シルクロードが通じるタクラマカン砂漠、タクラマカンとは゛地下の楽園”と云う意味のウイグル語で正に、地下の楽園に人々が憧れざるを得ない苛酷な沙の世界で在る。冒頭の゛生命を知らない地”と云うセリフがぴったりの砂漠の道、シルクロードを通じて伝えられた多くの文化に混じって二千五百年昔に北印度で釈迦によって開かれた仏教がタクラマカン砂漠を旅する人々の馬や駱駝の背に東方に運ばれ、多くの人々に新鮮な教えが伝えられ、人々の信仰心を昂揚した。
  幾つかのルートが数えられるシルクロードの一路、天山南路の中程の亀茲国(現在の庫車市)という仏教国の王の妹(ジーヴァカ、漢名耆婆)に一人の王子が生まれた。後に膨大な仏典の漢訳で東アジア仏教界にとって大貢献者と為る鳩摩羅什で在る。亀茲国に棲まう人々はインドヨーロッパ語族に属するペルシャアーリア系の白人種で在る。王家は白氏と呼ばれ、黄金より高価と云われる青の宝石ラピスラズリ)がふんだんに使われた仏の世界が描かれたキジル石窟で有名で在る。
  時に五胡十六国の時代で砂漠や草原或いは、中国各地を騎馬民族が跋扈し、各々民族の小国家を営んで居た。鳩摩羅什も後に、騎馬民族の跋扈に巻き込まれる事に為るが、騎馬民族の活躍、混乱の世が仏教を東方に広げる事に為る。
  

  公元401年、57歳に為った鳩摩羅什は、後秦王朝の皇帝姚興の招聘を受けて長安に入城し、庭付きの宮殿と沢山の美女側室として妓女を皇帝から与えられ、其処で多くの経典の漢訳に当たり、弟子を育てたと伝えられている。
  因みに、姚興は鳩摩羅什を長安に迎えるに当たって六万もの軍勢を枯蔵に派遣して、後凉国を併合する。

  羅什の翻訳事業や名言等は「色即是空」巻4に、また羅什の破戒に対する考察は次ページ巻3に述べた。

仏教伝達経路図

坊主でも呑みまっせー。ウイー!

屁放き爺さん「色即是空」巻三
(sikisokuzekuu3.html )へのリンク

  当時、亀茲国は天山南路中程からカシュガル近辺にかけて勢力を張り、カシミールやインド{天竺}への往来が容易な事と国を挙げての仏教崇敬も在って仏教留学の道は開かれていた。羅什の学識もそんな中で、信仰深い母耆婆や元仏僧で在った父鳩摩炎の影響を受けて培われた。彼は六歳で母と共に仏門に入ったと云われる。母と共にカシミールに留学して上座仏教(小乗仏教)を学んで帰路、カシュガルで大乗仏教に転向する。其の卓越した才能と仏典解釈、卓越した講論は多くの人々に憧れを以て、迎えられたと伝わる。
  後、夫炎と共に天竺に留学する為、旅発った母と別れて亀茲国に残った羅什は伯父の国王や従姉のアカツヤマテイーの援助を得て、
亀茲国に蔵する仏教経典を整備し、研究して大乗仏僧として布教に専念する。彼の従姉のアカツヤマテイーは深く仏教に帰依し、禅法の奥義に達した賢女で在った。彼女は、羅什と共に仏典を学び、羅什の為に大法会を催す等、献身的に彼に尽くす。筆者は、”彼女の羅什への愛や貢献、学識、王族としての身分からも羅什の妻では無かったか?”と仮設したい。何故なら、華北の騎馬民族支配地域や西域以西では、仏僧は有髪女淫は戒律で禁止されていなかった。当然、肉食飲酒も許された。仏僧の剃髪不妻帯に付いては、後記する。

  華北を統一した前秦王朝の皇帝符堅は十万の軍勢を催し、武将呂光に亀茲国を始め、西域諸国を占領する。此の時、羅什は呂光の捕虜と為り、長安に護送される事に為る。しかし、此の苻堅の西域諸国占領は”国家の勢力を伸ばす目的以前に、羅什の長安招聘が狙いで在った”とも云われる。

゛砂漠に生まれた偉大な法師”

シルクロードに生まれた名僧(鳩摩羅什三蔵の事)