屁放き爺さん昔〜しのお噺」

”寝物語”

  そもそも、日本には文字は無かった。記録に残すという行為は無く、親から子へ、子から孫或いは、お爺さんやお婆さんから子供達が聞かされた昔話が唯一、歴史を伝える手段で在った。或る学者は「語り部」と呼ばれる人々の集団が居た。古事記を大安麻呂に語り伝えた稗田阿礼がそうだ。だから日本には文字は要らなかった”と仰有る。
  中国の南北朝時代、梁王朝によって編纂された「千字文」や昭明太子編纂の「文選」、「論語」が王仁博士によって朝鮮半島から伝えられて始めて、”文字という記録手段を知った”とされる。歴史記録が始まった。しかし、王朝が代わる事の無かった我が国に遺される歴史は、勝者が「己の正義」を記すことのみが許される歴史で在った。戦いに敗れて散り去った平家には歴史を記す事が許され無かった。記される事が在っても悪者として描かれる「平家の公達」のみが史書に遺された。「如何に残虐であったか、如何に悪辣であったか」のみが記された。社会の片隅でひそと棲息した名門武家に許されたのは、語り伝える歴史つまり、「平家伝説」だけで在ったのである。平家に限らず、多くの名家が滅ぼされ、歴史から抹殺され、悪者にされた。

Once Upon A Time For Japan Birth

  ”日本は聖徳太子に始まる”此が筆者のフィーリング史学に基づく日本の始まりである。中国や韓国の史書には倭国と称する日本が出現する。倭国は日本である。此は当然で在る。しかし、筆者は”倭国は日本国の誕生前の姿”つまり、日本の胎児と捉えたいのである。
  此のHPの数ページでは「Prologue To Japan Birth」と名付けて日本誕生前の冥い時代の日本を中国や韓国の正史に訊ねて、日本の誕生、日本と云う嬰児の顔を眺めてをみたいのである。

”文字の無きの歴史”

蘇我氏が、大伴家が、清盛が、淀君が・・・・・。歴史から抹殺された一族や人々を数え上げれば切りが無い。此が我が国の歴史であった。”二千年の伝統を誇る”歴史では無かったので在る。

  筆者は、此の頁の初めにも記したが、日本の始まりは明日香時代が始まる或いは、明日香に先立つ頃、五世紀末から六世紀と定義して好いと思っている。聖徳太子が活躍をして日本国が形作られ、生み出されたと思うのである。”二千年には及ばないが、千五百年になんなんとする長い歴史の国家では無かったか”と想像する。但し、此は筆者だけが心の中に抱いている日本の歴史である。

Prologue To Japan Birth
第2篇 へのリンク

  筆者は長い間、日本という国??我々の歴史は「邪馬台国に始まる」と信じていた。否、筆者に限らず、殆どの人々はそう信じていた。果たして、其の認識が正しいと言えるか??”信じていた”と云うより”信じ込まされていた”のでは無かっただろうか??更に、”万世一系の天皇家が日本を治めてきた唯一無二の家系で在る”とも云われ、神話も其の思想に基づいて描かれ、学校で教えられる歴史も其の通りで在った。所謂、鉄の女櫻井よしこ女史や石原新太郎の一党が云う「日本二千年の伝統」である。”邪馬台国の女王、卑弥呼様を天皇に結び付けようとする”或いは、”中国南朝各国に朝貢をし、冊封を受けた”と中国の史書に記される倭の五王に天皇の名を当て嵌める。果ては、どう考察を繰り返し、「魏志倭人伝」を読み返しても、北九州でなければ為らない邪馬台国の所在地を奈良の大和地方に移し、晋書に”円丘と方丘を一つに合わせ、夏郊(夏至)と冬郊(冬至)の祭祀を一箇所で行った”と記されるつまり、”前方後円墳の始まりを述べて居るのでは無いかと”される卑弥呼の「大いなる冢(チョウ)」を、奈良県桜井市の箸墓古墳という完成され尽くした古墳に当て嵌める等、歴史学者の先生方の涙ぐましい努力を見るのである。中国の史書を無視した場所に女王卑弥呼の都を移し、墳墓の形式変遷をも無視して「邪馬台国大和説」を押し付けようとするので在る。
  其処には日本国の始まりを遙かな昔に置き、万世一系の天皇家の興りを永遠の時間の彼方に置き、天皇に権威を持たせようという意識は働いていないのか??様々な疑問が浮かぶので在る。
(此のHP「Prologue To Japan Birth巻3」とHP、「女王国飄々・倭国の歴史第三章、其の後の倭国」を参照)

  筆者は、歴史考察の基本姿勢を否、歴史に限らず全ての研究や文学の鑑賞に対して「権威に阿るな」、「何事にも自らの眼で確かめよ」、「原典に、原点に還り、原語の醸す雰囲気を味わえ」という三つの原則を基本態度として守りたいと思っている。”節穴から覗き見える一部の風景から当時の社会全体を把握しようとする行為が歴史研究で在る”と思うので在る。”誰にも其の時代を想像し、歴史を語る事が許される”と思うのである。其処で烏滸がましい事、夥しい事では在るが、筆者の唯我独尊的歴史観に則って、好き勝手放題に日本の古代史を想像してみようと思う。