「屁放き爺さんエロ噺」巻4

  世界最古の歴史を刻んだとされるメソポタミアを始め、世界の古代を彩った文明には早くから所謂、神代の昔から神に仕える女性として神殿に「巫女」という女性が生まれた。彼女達「巫女」が神に奉仕する「神の館」と呼ばれる慰安所では「聖婚」或いは、「神殿売春」と呼ばれる神から寄進者や祈祷者、神官達等へ「お持て成し」が下げ与えられたので在る。
  女神が生まれた当初の女神に対する奉仕活動として全ての女性に課せられた「神殿売春」が、セックス専門職、「巫女」による男性参拝者に対するセックス奉仕というしきたりに代わって「遊女」という専門女性が生まれるのである。「聖婚」や「神殿売春」という神から下されるお持て成しは、日本でも世界各国でも同じ様に行われた。日本では「直会の儀」が此に当たる。今行われている「直会の儀」は只、酒を啜(すす)って鯣(するめ)の切れっ端を口に運ぶだけで在るが、古代には違った儀式が執り行われた。「巫女」は舞を舞い、楽器を奏でて神を慰め、神の営む酒宴に彩を副えた。伽をして神や参拝者を慰めた。
  神殿売春は、キリスト教やイスラム教では忌避され、ヨーロッパや中東地域では次第に無くなった。公元四世紀にキリスト教を奉じるローマ帝国皇帝コンスタンティヌス一世が女神の神殿を破壊し、キリスト教化したことによって神聖娼婦の習慣は終了したと云われる。また、中国には「神殿売春」という制度は生まれなかった。
  日本では天宇受賣命が「神殿売春」として記録される最初であり、神の下す娼婦として「巫女」が誕生したと云われる。"巫女が処女で無ければ為らない”と云われる様に為ったのは、処女を神聖視したキリスト教、欧米の文化を検討することも無く、そのまま受け入れた明治以降で、それ以前の日本は神詣での買春は神聖なもので在った。神が主催する、収穫や豊漁、多産を願う「お祭り」は乱交パーテイで在ったし、葬儀では「夜伽」と呼ばれる乱交酒宴で死者を弔った。日本の神社で神に奉仕する巫女も基本的には神殿娼婦で在った。今も、お祭りや神詣でには「精進落とし」と呼ばれるどんちゃん騒ぎが為されるが、此も「神殿売春」、「巫女」による伽接待が変化したものかも知れない。
  日本の「遊女」は、諸外国の神殿娼婦と同様、曾ては神社の「巫女」として神に仕えながら歌や踊りを行っていたが、後に神社を去って諸国を漂泊し、宿場や港で歌や踊りをしながら一方で性も売る様に為った。平安時代の宮中の舞踊・音楽の教習所である「内(ない)教(きょう)坊(ぼう)」で養われた「伎女」は、「遊女」や「巫女」に"何等かの関連がある”と考える研究者もいる。「巫女」、神社で見る彼女等の白衣に緋短袴{袴は長袴の事で、今の巫女の穿く裾が踵迄の袴は短袴である}という艶やかな紅白の出で立ちに何処か、心ときめくものを感じるのはエロ爺で在る筆者だけであろうか?

ー紅白衣裳の醸す清純色気ー

今日のエロ爺さんのお話は「巫女」に付いてです。
神聖なる神に仕える巫女様に失礼かも知れません
が少し、お付き合いを願います。

「閑爺さんエロ噺」”近親恋愛のお咄”
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恍惚美女