斯うして天照大女神は日本のグレートマザー(大地母神)で在り、神々の中の中心的存在と為るので在る。「古事記」には、兄妹交情に類する話は、前述した天照大神の他にも沢山、語られる。允恭天皇の皇女、軽大郎女つまり、衣通姫である。肌が抜ける様に白く、其の余りの美しさが衣を通すと云われて衣通姫と呼ばれた。彼女は同母兄である軽皇子{皇太子の地位に在った}と情を通じてタブーを犯す。父天皇崩御の後、軽皇子は此の事件が原因で失脚し、太子の地位も剥奪されて伊予へ流刑となる。衣通姫は同母兄で恋人の軽皇子の後を追って伊予に赴き、再会を果たした二人は共に手に手をとって海中に身を投じて心中するという哀しい、許されざる美しい恋の物語を語る。
  最近は妹に悪戯をする兄や、娘にちょっかいを出す親父も居るとか?不届き千万なセクシャルハラスメントであるが、近親相姦の例は、此れ以外にも様々に「史書」や「物語」中に伝えられる。古事記以外のもう一つ、強烈なお話を・・・。日本の歴史に「聖王子」と今に、其の名を称え伝えられる聖徳太子の一族、一家に纏わるスキャンダルを紹介したい。
  聖徳太子の母で用明天皇の后、穴穂部間人皇后は夫の死後、異母息子の田目皇子と情を通じ、佐富女王を生む。又彼女は、同母弟の穴穂部皇子とも男女の関係が在ったと云われ、多情な女を演じる。聖徳太子の伯母で、物事に慎み深い女性と称えられる豊御食炊屋姫{後の推古天皇}も異母兄で在る敏達天皇の皇后と為って竹田皇子を生んでいる。此の様に、中国では大きなスキャンダル、あるまじき行為と云われる姉弟、兄妹、母子情交も日本では、当然の風習の一つで在ったのかも知れない。夢殿のある法隆寺の東院伽藍に隣接する門跡寺の中宮寺は、元は四百米程、東に在ったと云われる。中宮寺は穴穂部間人皇女の宮殿跡に聖徳太子が建立した寺で在ると平安時代の「聖徳太子伝暦」は伝える。スキャンダルで騒がれるのを避けてこっそりと佐富女王と暮らした中宮の名残の寺で在ったのであろうか。
  世界最古の恋愛小説「源氏物語」でも冒頭から近親恋愛?が語られる。つまり、父桐壺帝の女御藤壺を慕って情を通じ、子を為すのである。此の様なスキャンダルが描かれるという事は、当時は此の様な父子、母子の通情は当たり前の事で在ったかも知れない。光源氏の愛人女三宮は不義の子を産むが、源氏は不義の子と知りながら此の薫を抱くのである。

  古代エジプトでは長女相続が行われた。つまり、王・ファラオの莫大な権力や財産は彼の長女に伝えられる。此の遺産相続風習によってファラオ位に就任する男は誰れ彼れを問わず、前ファラオから譲渡された長女の権利を借りて国を治め、国民に君臨するので在る。其処には、兄妹婚や姉弟婚、父娘婚或いは母子婚が常に行われていたという事実は筆者の別著に機会ある毎に記した。しかし、この場合は「婚」の字は当て嵌まらず、「共同統治者」という文言が相応しい事も其の度に記したので誤解無き様に、お願いしたい。「婚」はキリスト教的価値観に基づいて定義された名付けで在る事も追加しておきたい。

「屁放き爺さんのスケベ咄」巻5

  日本最古の物語、「古事記」には、畏れ多くも賢き天照大女神と弟の須佐之男尊のセックスに付いての記述がある。天照大神は弟の素戔嗚尊{須佐之男尊}と天の川を挟んで、宇気比をする。つまり、天照大神が須佐之男尊の剣を口に含み、噛んで噴出した息吹から三人の姫が誕生する。須佐之男尊は、天照大女神のつけていた珠を天の真名井の湧き水で清め、噛み砕いた息吹から、五人の子が産まれる。剣は男性性器を表し、珠や玉は女性性器のシンボルである。この話は天照大神が弟の須佐之男尊と交わって子供を生むという、日本の性の大らかさを伝えるとともに、女性崇拝の日本の歴史を物語る。

「閑爺さんエロ噺」”情夫は伯父さん”
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”兄は情人、姉は愛人”ー近親恋愛のお話ー

ー許されざる恋は神代の昔からー